はじめに:人生の「空白」をどう捉えるか
こんばんは、のぶをです。
皆さんはふとした瞬間に、「人生は暇なほうが幸せなのか、それとも忙しいほうが幸せなのか?」と考えたことはありませんか?
若い頃は、目の前の仕事をこなすことに必死で、そんな哲学的な問いに向き合う余裕すらなかったかもしれません。しかし、30年間組織の第一線で走り続け、人生の折り返し地点を過ぎた今、この問いに対する答えが、若い頃とは明らかに変わってきたと感じています。
今日は、私の経験に基づいた「忙しさの変遷」と、50代になった今たどり着いた「理想の生き方」についてお話ししようと思います。
30代〜40代:与えられた多忙さを「正義」と信じた日々
30代から40代にかけての私は、とにかく「多忙」そのものでした。
特に管理職、そして執行役員となってからは、自分の裁量で時間をコントロールすることが難しく、次から次へと降りかかる案件やトラブルへの対応に追われる毎日。口では「忙しくはないよ」と強がって見せてはいましたが、心のどこかでは「これこそが社会人としての充実だ」と思い込んでいた節があります。
当時は、「忙しいこと=誰かに必要とされていること=正義」という価値観が、私の中に根深くありました。
夜遅くまで働き、成果を出し、組織を回す。その達成感に満足し、のんびりとマイペースに仕事をしている人を見ると、「もっと危機感を持ったほうがいいのではないか」と否定的に捉えてしまうこともありました。もし、この時期に娘が生まれていたら、私は間違いなく子育てに関わる時間を確保できず、仕事一辺倒の人生を歩んでいたことでしょう。
50代の葛藤:手に入れた「暇」が突きつけてきたもの
しかし、50代という大台が見えてきた頃、自分の中に変化が訪れました。「このまま定年まで、他人に決められたスケジュールに追われ続ける人生でいいのだろうか?」という疑問です。
責任が重くなり、役職が上がっても、手取り額は劇的には変わらない。一方で、責任とストレスだけが積み上がっていく。そんな現実に直面した時、以前は否定的に見ていた「マイペースに働く人」たちが、急に羨ましく見え始めました。
「もっと暇になりたい」
「ワークライフバランスを大切にしたい」
そう強く願うようになったのです。部下のマネジメントに忙殺されるのではなく、自分の裁量で効率よく仕事を片付け、自分の時間を確保したい。ちょうどその頃、待望の娘が誕生したこともあり、私の優先順位は「会社」から「家族」へと明確にシフトしていきました。
札幌への異動と、想定外の「退屈」という地獄
そんな折、私にとって大きな転機が訪れました。役職を離れ、以前から憧れていた札幌への異動が決まったのです。
当初は理想そのものでした。与えられた職務を効率的にこなし、定時になれば即帰宅。有給休暇をフルに活用して家族と出かける日々。「これこそが求めていた自由だ」と自分に言い聞かせていました。
しかし、半年が過ぎた頃、心の中にモヤモヤとした霧が立ち込め始めました。
「自分はこのままでいいのだろうか?」という、言葉にしがたい焦燥感です。
その時ふと思い出したのは、大学時代の長期休暇のことでした。
学生の頃、私はバイト三昧の毎日を送っていました。ある時、少し疲れて「今回の休みはルーチンのバイト以外は入れずに、のんびりしよう」と決めたことがあります。ところが、いざ暇になってみると、それは自由ではなく「退屈という地獄」でした。
定時で帰り、娘とお風呂に入り、週末は温泉へ行く。理想の生活のはずでした。
札幌での穏やかな日々の中で気づいたのは、「目的のない暇」は、人を豊かにするどころか、活力を奪っていくという厳しい現実でした。
結論:自分自身で選ぶ「攻めの多忙」
そこで私は考えました。暇が苦痛なら、また以前のような「与えられた忙しさ」に戻るべきなのか?
答えは「NO」でした。
たどり着いた結論は、「自分で決めた目標のための多忙」こそが、人生の満足度を最大化するということです。
他人に支配される忙しさではなく、自分の夢や志のために、自ら時間を投じること。
私は、以前から興味のあったFP(ファイナンシャル・プランナー)の資格取得にチャレンジすることを決めました。さらにブログを立ち上げ、現在は簿記、そして最終的には中小企業診断士という大きな目標を掲げて勉強を続けています。
この決断をした瞬間、まるでバラバラだったパズルの最後の1ピースがハマったような感覚がありました。
家族との時間と、夢への挑戦を両立させる
今の私は、かつてないほど充実しています。
勉強時間は確かに必要ですが、それは「自分で決めた多忙」です。だからこそ、最優先事項である家族との時間は絶対に削りません。むしろ、限られた時間の中でいかに勉強の質を上げるかという「タイムマネジメント」の意識が、現役時代よりも鋭くなっています。
50代で娘を授かり、この考え方に至ったことは、私にとって運命のように感じています。娘の成長を見守りながら、自分自身も成長し続ける。それが今の私の「生きがい」です。
「いつまでもカッコいいパパでいたい」
そんなシンプルな動機が、今の私を支える大きなエネルギーになっています。
私はもう、人に忙しくさせられる人生は選びません。
皆さんは、今の自分の「忙しさ」を自分で選んでいますか?
もし「与えられた忙しさ」に疲れているのなら、少しだけ立ち止まって、自分のための「攻めの多忙」を見つけてみてください。
人生を彩るのは、きっとその一歩から始まるはずです。
ではまた!
にほんブログ村

コメント